リヴァプールでプレミア&CL制覇、350試合出場も目前 アンディ・ロバートソン「あの挫折が今も原動力」
リヴァプール不動の左サイドバックとして、いくつものタイトル獲得に貢献してきたアンディ・ロバートソン。自らを“アンダードッグ”と呼ぶその言葉の裏には、少年時代に味わった大きな挫折があった。逆境をいかにして乗り越え、世界最高の舞台にまでたどり着いたのか。インタビューで語る本人の素直な言葉から、サッカー選手としての原点と闘志の源に迫る。
「マッケム・スレイヤー」。かつて宿敵サンダーランドとのダービーで英雄となった彼に、熱狂的なファンが贈った愛称だ。しかし、その勇ましい響きとは裏腹に、アレクサンデル・イサク本人の素顔は驚くほど物静かで謙虚。ピッチを離れれば、家族や友人と過ごす時間を大切にする、一人の青年の姿がある。その冷静な瞳の奥には、どのような哲学が宿っているのか。
2024-25シーズン、プレミアリーグで23ゴール6アシストと圧巻の成績を収めた、ニューカッスルの若きエースストライカー。その知られざる内面に迫る。
──あなたのプレーを見ていると、まるでプレミアリーグのために作られた選手のようだと感じられます。リーグ自体はどう感じていますか?
イサク:僕たちのプレースタイル、そしてハイテンポでスピーディーなこのリーグのやり方は、僕自身と僕のプレースタイルにとても合っていると思います。ここに来てから、サッカーをプレーすることが本当に楽しいです。
──2024-25シーズンはニューカッスルにとって完璧ではなかったかもしれません。何が問題だったと思いますか?
イサク:おそらく、結果の面ですね。ご存知の通り、怪我に悩まされたシーズンでした。非現実的なほど多くの怪我人が出て、監督にとっては選択肢がなく難しい時もあったでしょう。良い時期も悪い時期もありました。
──ヨーロッパでの戦いも経験しましたね。チャンピオンズリーグでの経験は、選手としてどれくらい成長させてくれましたか?
イサク:すごく成長しました。CLでプレーすることは、トップ中のトップにいなければ経験できません。そして、それこそが僕たちが居たい場所であり、常に目指しているものです。
──CLでの戦いで、特に心に残っている瞬間はありますか?
イサク:ホームでのPSG戦です。クラブにとって、ファンにとって、そして街全体にとって、特別な瞬間でした。グループステージは突破できませんでしたが、あのような試合は関わった人々すべての人生において、一生記憶されるものだと思います。
──今シーズンも、サンダーランドとのダービー(タイン・ウェア・ダービー)という記憶に残る試合がありました。あのダービーがどういうものか、試合前から理解していましたか?
イサク:この土地の生粋のファンである“ジョーディー”のようには決して理解できないでしょう。それは不可能です。でも、キャリアで多くのダービーを経験してきましたし、スウェーデンにもダービーはありますから、どういうものかは知っています。もちろん、すべてのダービーがユニークであり、それぞれの魅力がありますよ。
──ダービーでゴールを決めたことで、今でも街の人から声をかけられますか?
イサク:ええ、そうです。面白いですよ(笑)。
──何と言われるのですか?
イサク:ライバルであるサンダーランドのファンを指す“マッケム”という言葉を使って、「マッケム・スレイヤー」と呼ばれています(笑)。スタジアムでそう歌われるんです。面白いですし、良い思い出です。
──少し話を遡ります。若い頃のアレクサンデル・イサクはどんな少年でしたか?
イサク:機会があればいつでもサッカーをするのが大好きな、普通の子どもでした。路上でも、所属していたAIKでもプレーして、子ども時代は本当にそれだけでした。ごく普通の育ち方です。
──育ったのはストックホルムのソルナ地区だそうですね。
イサク:ええ。今でも友人や家族がみんな住んでいる、素敵な地域でした。多様性に富んでいて、多くの国籍の人々がいました。一日中、外でサッカーをしたり、楽しいことをしたりして過ごしましたね。
──6人きょうだいの末っ子だと聞きました。そのことはあなたをどう形成しましたか?
イサク:3人の兄と2人の姉がいる大家族です。末っ子はおそらく幸運ですよ。色々なことを見逃してもらえるって言いますからね(笑)。僕は一番仕事が少なかったので、その分サッカーの練習をする時間がたくさんありました。
──ご両親はエリトリア出身で、1980年代にスウェーデンに来られたそうですね。そのルーツはあなたの人生にどう影響しましたか?
イサク:すごく影響しています。僕はエリトリア人です。スウェーデンにも大きなエリトリアのコミュニティがあって、育つ過程ではたくさんのエリトリアの人々と一緒にいました。エリトリアの教会やパーティーに行ったりして、スウェーデン文化とエリトリア文化の両方を吸収して育ちました。それは僕に多くのものを与えてくれましたし、心の中で大切にしています。
──2018年にはエリトリアを訪問されたそうですね。
イサク:ええ、家族と一緒に行く時間がありました。素晴らしい訪問で、人々や色々な場所を訪れ、自分の家族が育った場所にいることができました。サッカークラブや若いアスリートたちにも会いました。感動的でしたね。
──エリトリアの子どもたちにとって、今やあなたがアイコンです。
イサク:そうでありたいです。彼らが僕にとってのインスピレーションであるのと同じように、僕も彼らのインスピレーションでありたい。僕はいつも、自分自身にとって良い手本であろうと努めています。その過程で人々をインスパイアできるなら、とても嬉しいです。
──プロになれるという信念は、いつ頃から持っていましたか?
イサク:若い頃はとにかく、ただプロになることを文字通り夢見ていました。本当に自分がなれるかどうかを現実的に考え始めたのは、15歳くらいです。AIKのファーストチームと練習するようになってからですね。
──そして16歳でデビューし、すぐにゴールを決めました。
イサク:最初の試合はメンバー外でしたが、2試合目にストライカーがほとんどいなくなってチャンスが来たんです。デビュー戦でゴールを決め、そこからずっとプレーし続け、うまくいきました。
──17歳の誕生日にダービーで2ゴールを決めた試合は、今でも語り草だそうですね。
イサク:ええ、アウェイのユールゴーデン戦で、僕の17歳の誕生日でした。2ゴールを決めて3対0で勝ち、僕にとってとてつもなく大きな一日でした。試合後にはファン全員がピッチで僕のために誕生日の歌を歌ってくれたんです(笑)。間違いなく、僕のキャリアにおけるハイライトの一つですよ。
──その後、多くのクラブから注目される中で、ドルトムントへの移籍を決断します。
イサク:彼らが提示してくれたパッケージ、特に僕のために用意してくれた育成プランが最も魅力的でした。
──しかし、ドルトムントでは出場機会に恵まれませんでした。若すぎたと思いますか?
イサク:あの移籍は必ずしも、ネガティブなものだったとは今も思いません。もちろん、外から見ればそう映るかもしれませんが、僕はドルトムントで多くを学びました。質の高い選手たちと練習し、選手や監督から学び、自分に集中してチャンスを待っていました。長いキャリアの一部であり、簡単な道のりばかりではありません。あの経験もまた、今の僕を形作るための大きな要素の一つになりました。
──次に移籍したスペインのレアル・ソシエダでは、コパ・デル・レイで優勝を経験しました。
イサク:自分の貢献を実感できた、最初のトロフィーでした。全試合でプレーして深く関わると、感覚が違いますからね。残念ながら決勝はコロナ禍で無観客でしたが、それでもクラブにとって大きな瞬間でした。
──そしてニューカッスルへ。何が決め手だったのですか?
イサク:主にプロジェクトです。クラブが持っていた野心が、選手として僕が望むものと一致していました。そして、ニューカッスルという歴史あるクラブと、あれだけのファンがいることも、選択を簡単なものにしてくれました。
──入団当初は物静かだったそうですが、入団の儀式で歌を披露して変わったと聞きました。
イサク:ええ、怪我で遅くなったのですが、サウジアラビア遠征の時に歌いました(笑)。Biggie Smalls の 『Juicy』を歌って、みんなに喜んでもらえたと思いますよ。
──ピッチ上では、デビュー戦となったアンフィールドでのゴールが衝撃的でした。
イサク:僕にとっては良いスタートでした。新しいリーグに慣れるのは大変なので、最初の試合で、しかもあのような大一番でゴールできたのはとても素晴らしく、その後のことを簡単にさせてくれました。
──あなたは物事を控えめに、冷静に話す印象があります。
イサク:たぶん、それが僕なんです。サッカー選手としての僕のペルソナですね。誰しも、色々な側面を併せ持っているものだと思います。
──では、サッカー選手ではないあなたはどんな人ですか?
イサク:仕事に来る時よりは、もう少し活発かもしれません(笑)。プライベートは大切にしたいタイプです。
──サッカーから離れている時は何を?
イサク:家で友人や家族と過ごしたり、ビデオゲームをしたり。犬と散歩に行くこともあります。かなりシンプルなことばかりです。休みがあれば、僕のすべてがある故郷のスウェーデンに帰るのが好きですね。
──犬の散歩中に、全身ニューカッスルのトラックスーツ姿を撮られて話題になりましたね。
イサク:ええ、見ました(笑)。昨シーズン、誰かに撮られましたね。SNSでちょっとしたミームみたいになっていて、面白いことだと思います。
──最後に、今後の目標を聞かせてください。
イサク:僕はどこへ行っても、最高の自分であろうと努めています。チームとしては、良い形でシーズンを過ごし、ヨーロッパの舞台で勝利すること。そのために全力を尽くします。
リヴァプール不動の左サイドバックとして、いくつものタイトル獲得に貢献してきたアンディ・ロバートソン。自らを“アンダードッグ”と呼ぶその言葉の裏には、少年時代に味わった大きな挫折があった。逆境をいかにして乗り越え、世界最高の舞台にまでたどり着いたのか。インタビューで語る本人の素直な言葉から、サッカー選手としての原点と闘志の源に迫る。
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