『パラサイト 半地下の家族』(2019年)で、外国語映画史上初となるアカデミー作品賞を受賞したポン・ジュノ。『哀しき獣』(2010年)や『哭声』(2016年)など、切れ味鋭いスリラーを世に放ってきたナ・ホンジン。『復讐者に憐れみを』(2002年)、『オールド・ボーイ』(2003年)、『親切なクムジャさん』(2005年)の復讐三部作で知られるパク・チャヌク。韓国のゴダール、もしくはエリック・ロメールの弟子とも称されるホン・サンス。いま韓国映画界には、世界が羨む才能が集結している。
その中でも、イ・チャンドンという存在は一際強烈な光を放つ。デビューから現在に至る28年の間に発表した作品は、わずか6本のみ。だがその全てのフィルムが、観る者の魂を揺さぶり、脳天を撃ち抜き、心を震わすマスターピースばかり。世界遺産級のフィルモグラフィーなのだ。そして彼は、貧困、宗教、暴力、障害といったテーマを容赦のない筆致で切り取って、社会の不条理を浮かび上がらせる。時には、物語の最後にほんの少しだけの希望の灯をともして、世界を優しく照らしたりもする。その筆致には、畏敬の念を抱くばかり。
イ・チャンドンのキャリアは極めて異色だ。1954年4月1日、大邱市生まれ。慶福大学で韓国文学の学位を取得し、高校の教師として教鞭を執る傍ら、コツコツと執筆活動に取り組む。1987年に初の長編小説「戦利」を発表し、1992年に刊行した「鹿川(ノクチョン)は糞に塗れて」では韓国日報文学賞に輝く。彼の初期キャリアは文学によって形成されたのである。
やがて脚本の執筆をきっかけに映画の世界に足を踏み入れ、43歳のときに『グリーンフィッシュ』(1997年)で監督デビュー。その後、『オアシス』(2002年)がヴェネツィア国際映画祭で監督賞など3部門を受賞、『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)がカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、『バーニング 劇場版』(2018年)がカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。世界的巨匠としての地位を築いた。
彼の映画は、観客に“伝える”のではなく、観客自らが“発見する”ことを望んでいる。スクリーンに描かれているのは、“答え”ではなく“問い”だ。登場人物の微細な表情や台詞、画面に映り込む光や風や水の煌めきを、観る者が感覚を研ぎ澄ませて受け取ることで、自分だけの映画が完成する。イ・チャンドンは、我々が自由にイマジネーションを膨らませる余白を与えてくれる。おそらくそれが、彼が信ずるところの「映画的体験」なのだ。
『シークレット・サンシャイン』(2007年)で主人公のイ・シネを演じたチョン・ドヨンは、「イ監督は引っ張るのではなく、私自身が見つけるまで放っておいてくれました」と語っている。彼は、映画監督というよりもメンターに近いのかもしれない。教えるのではなく、導く存在として(ちなみに彼は、2003年から2004年にかけて韓国の文化大臣を務めた経験もある)。
韓国映画界の巨人、イ・チャンドン。その至極の6本を紹介しよう。
兵役を終えて帰郷した青年マクドン(ハン・ソッキュ)が、ひょんなことから裏社会に足を踏み入れ、暴力団のボスの愛人ミエ(シム・ヘジン)と恋に落ちていくフィルム・ノワール。列車から乗り出したマクドンの顔面に、風で飛んできた赤いスカーフが絡まるというオープニングから、ツカミはOK。アルコール中毒者や障がい者を抱えるマクドンのリアル家族と、暴力団という擬似家族を対比させながら、哀しき男女の物語が疾走する。
抜け出そうとしても抜け出すことができないマクドンの境遇は、まるで韓国社会の底辺で生きる人々の写し鏡のよう。イ・チャンドン映画にたびたび登場する「加害者と被害者の対峙」が、第一作から描かれていることも興味深い。
「帰りたい!」と絶叫しながら、列車に飛び込む一人の男。なぜ彼は自殺するに至ったのか?彼はいつ、どこに戻りたいのか?主人公キム・ヨンホ(ソル・ギョング)の20年にわたる記憶を、現在→過去へと遡っていくことで真実を明らかにする、走馬灯ムービー。
運命の波にさらわれ、破滅の道を歩まざるを得なかったヨンホ。彼は時代の犠牲者ともいえる。そんな男の人生を逆行して辿ることで、あり得たかもしれない幸せな結末に思いを巡らせてしまう構成が巧み。光州事件や民主化運動など、激動の韓国現代史を描いた歴史映画としても見応え十分。
出所したばかりの前科者ジョンドゥ(ソル・ギョング)と、脳性麻痺のために体が不自由なコンジュ(ムン・ソリ)。本能的に二人は惹かれあうが、周りの人々はそれを決して愛と認めようとはしない。イ・チャンドンが「絶望の中でも愛することができることを見せたかった」と語る、究極のラブストーリー。
氏名不詳の男を英語圏ではジョン・ドウと呼び、韓国語でコンジュは姫を意味する。この映画は、世界の外からやってきた謎の騎士が、アパートに幽閉されたプリンセンスを救い出そうとする物語なのだ。極めて普遍的な神話的構造で作られていることは、注目に値する。
亡き夫の故郷・密陽市に引っ越してきた、ピアノ教師のイ・シネ(チョン・ドヨン)。幼い息子が誘拐事件で殺害され、悲嘆に暮れた彼女は神に救いを求める。信仰とは何か。赦しとは何か。そして、神とは何か。過酷な運命を通して、その意味を我々に問いかけてくるメガトン級の衝撃作。
映画のなかで、イ・シネは何度も空を見上げる。時には神を仰ぎ見るように、時には神に呪いをぶつけるように。主人公の視線によって、心象風景を巧みに表現する演出が素晴らしい。彼女に好意を寄せるキム・ジョンチャン役を、ソン・ガンホが俗物感たっぷりに演じているのも注目ポイント。
古いアパートで暮らすミジャ(ユン・ジョンヒ)は、孫のチョンウク(イ・ダウィ)と二人暮らし。ヘルパーの仕事をしながら、詩の教室に通っている。そんなある日、チョンウクが少女への性的暴行と自殺に関与していたことを知らされ、さらにアルツハイマーを発症し、次第に言葉を失っていく。
詩を書くことで世界が美しさで溢れていることを見出し、その一方で世界が残酷さに溢れていることも突きつけられる。イ・チャンドンはミジャが読む詩を通して、その二重性、複雑性を炙り出す。あまりにも痛切なラストショットは、脳裏に焼きついて離れない。
貧しく夢もないジョンス(ユ・アイン)、ビニールハウスを燃やすのが趣味だと語る富豪のベン(スティーヴン・ユァン)、突然姿をくらますミステリアスなヘミ(チョン・ジョンソ)。村上春樹の短編小説『納屋を焼く』を原作に、イ・チャンドンは幾つもの謎が重曹的に織り重なる、奇妙な物語を創り上げた。そして、F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のような人間関係を配置することで、近代都市と取り残された風景、持つ者と持たざる者、現実の世界と理想の世界を対照せしめ、現在の韓国を活写する。
何よりも、マイルス・デイビスの『死刑台のエレベーター』をBGMに、黄昏のなかヘミが半裸で踊るショットが圧倒的に美しい。
ソン・ガンホは、「イ監督の作品は一番大事な私たちの生を描きつつ、その生を最も深くのぞき込み、語る」とコメントしている。その通りだろう。イ・チャンドンは人生の深淵を考察し、その意味を問いかける。我々はスクリーンの向こうに、現実と地続きの世界を見出し、与えられた問いを思考し続ける。イ・チャンドン映画を観ることとは、イ・チャンドンと対話することと同義なのかもしれない。
6本の作品たちは、間違いなく豊かな映画体験を与えてくれるはずだ。
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